ボーナスが入っても笑えない社畜の末路
はじめに
ボーナスって、本来はテンション上がるもんのはずなんよ。
「頑張った自分へのご褒美」
「欲しかったもん買おう」
「ちょっと贅沢しよう」
そういうキラキラした話が似合うイベントのはずなんじゃけど、社畜にとっては必ずしもそうじゃないんよね。
たしかに入金された瞬間はうれしい。
通帳やアプリ見て、
「お、入っちょる」
ってなる。
いつもの給料より数字が大きいだけで、少しだけ夢が見れる。
一瞬だけ、自分も豊か側の人間になれた気がする。
でも、その夢はだいたい長続きせん。
- 車検。
- 税金。
- カードの請求。
- 家電の買い替え。
- 子どもの出費。
- 家のこと。
- 生活費の補填。
- 場合によっちゃ借金の返済。
そういう“現実の精鋭部隊”が、ボーナスを目がけて一直線に走ってくるんよ。
そして気づけば、楽しみにしちょったボーナスは、自分を喜ばせる金じゃなく、生活を立て直すための金になっちょる。
これ、かなり切ない。
今回はそんな、ボーナスが入ったのに喜べない社畜の現実を、山口弁まじりでリアルに書いてみる。
「わかる、それご褒美じゃなくて補填よね」ってなる人、たぶんかなりおるはず。
ボーナスが入る前がいちばん楽しい
不思議なことに、ボーナスって入る前がいちばん楽しかったりするんよね。
「入ったら何買おうかな」
「ちょっとええ飯食べるのもありやな」
「服でも買うか」
「家族でどっか行くのもええな」
そんなこと考えよる時は、まだ金が“希望の塊”なんよ。
使い道が自由。
夢がある。
自分のために使える前提で話が進む。
この時間だけは、社畜にもちゃんと未来がある感じがする。
でも実際に入金された瞬間から、空気が変わる。
まず頭に浮かぶのが、
「で、何に消えるんじゃっけ」
って確認なんよね。
ボーナスを楽しみにしちょったはずなのに、気づけば使い道の振り分け会議が始まる。
しかもその会議、わりと重たい。
欲しいものより先に、払わんといけんものが並ぶ。
ご褒美より先に、穴埋めが待っちょる。
この時点で、ボーナスのワクワク感はだいぶ削られる。
夢を買う金じゃなくて、生活の火消しに使う金。
それが社畜のボーナスになってしもうた時の切なさ、なかなかのもんなんよ。
ほんま、入る前の妄想がピークで、入った瞬間から現実に変わる。
これ、毎回ちょっと悲しい。
ボーナスの使い道がご褒美じゃなく補填になる
社畜がボーナスで喜べん最大の理由、これなんよね。
使い道が“プラス”じゃなく“マイナスの補填”になる。
たとえば、普段の月給だけじゃちょっと足りん部分。
赤字まではいかんでも、毎月ギリギリ。
貯金を増やす余裕もそんなにない。
そういう生活しよると、ボーナスは“臨時収入”じゃなくて、
「年に数回の立て直しタイム」
みたいになる。
家電が壊れた。
車の維持費がきた。
保険の年払いがある。
学費や行事の出費がある。
税金も重たい。
カードの請求もある。
気づけばボーナスって、普段の生活でさばききれんかったもんをまとめて受け止める係になっちょる。
これ、ほんまにご褒美感がないんよ。
もちろん必要なことに使うのは大事。
生活を守るためにはしゃーない。
むしろ堅実ではある。
でも、せっかく頑張って働いて手に入れた特別なお金が、全部“守り”で終わると、なんとも言えん虚しさが残る。
「わし、何のためにこんな頑張ったんじゃろ」
って思う時すらある。
社畜って、給料でも余裕がない。
ボーナスでも余裕ができん。
これがしんどいんよね。
頑張った先に待っちょるのが、贅沢でも自由でもなく、ただ生活の延命措置っていう。
なかなかハードモードじゃと思う。
結局ちょっと使うと罪悪感が出る
じゃあ全部まじめに補填へ回すかと言うたら、そこもまた難しいんよ。
やっぱり人間じゃけぇ、少しくらい自分にも使いたい。
せっかくのボーナスなんじゃけぇ、
「なんかひとつくらい買ってもええじゃろ」
って気持ちは出る。
それは普通なんよ。
でも、ここで社畜特有の問題が出てくる。
使ったあとに罪悪感が来る。
服を買った。
外食した。
ゲーム買った。
ちょっといい財布買った。
本来ならうれしいはずなのに、そのあとで
「いや、これ我慢した方が良かったか…?」
ってなる。
もっと返済に回せたかもしれん。
もっと貯金できたかもしれん。
この先なにがあるかわからん。
そう思い始めると、楽しい買い物が一気に“判断ミス疑惑”に変わる。
これ、かなりしんどい。
自分のために使ってもスッキリせん。
使わんかったら使わんで寂しい。
どっちに転んでも完全には喜べん。
ボーナスって本来ハッピーイベントのはずなのに、社畜界ではわりとメンタル試験なんよね。
たぶん余裕がないからなんよ。
ほんまに余裕があれば、少し使っても笑える。
でもギリギリの生活の中じゃと、数万円の出費でも心がざわつく。
“楽しむ”にも体力がいるけど、金の余裕も要るんよね。
そこが足りんと、ボーナスすら気持ちよく使えん。
周りは楽しそうなのに自分だけ現実的
ボーナス時期になると、世の中ちょっと浮かれるじゃろ。
セール。
旅行。
ご褒美消費。
SNS見ても、なんかみんな楽しそう。
「ボーナスで買いました!」
「ちょっと贅沢してきた!」
みたいな投稿も増える。
あれ見ると、地味に心がザワつくんよね。
もちろん人それぞれ生活は違う。
比べてもしゃーない。
そんなの頭ではわかっちょる。
でも、自分はボーナス入っても
「まず支払い」
「次に補填」
「余ったら少し考える」
みたいな現実モード全開じゃけぇ、ちょっと切なくなる。
わしも人間じゃけぇ、たまには
「ボーナス最高!」
って素直に言いたい。
でも現実は、
「とりあえずこれで今期しのげる…」
の方が先に来る。
この差が、なんとも言えんのよ。
社畜って、派手に苦しんどるわけじゃないんよね。
ちゃんと働いちょるし、生活も一応回っちょる。
でも、イベントをイベントとして楽しめんくらいには余裕がない。
そこがリアルで、じわっと苦しい。
ボーナスに期待しすぎると余計しんどい
ここまで書いといてなんじゃけど、たぶん社畜が少し楽になるには、ボーナスに夢を背負わせすぎんことも大事なんよ。
ボーナスで人生変えよう。
ボーナスで一気に楽になろう。
ボーナス入れば何とかなる。
そう思いすぎると、期待が大きいぶん現実との落差がしんどい。
実際のところ、ボーナス一回で人生は劇的に変わらんことが多い。
一時的には助かる。
たしかにありがたい。
でも根本的に生活を変えるには、やっぱり普段の収支とか固定費とか働き方とか、そういう地味な部分がでかいんよね。
つまりボーナスは救世主というより、少し呼吸を楽にしてくれる酸素ボンベみたいなもんなんかもしれん。
それをどう使うかで、次のしんどさが少し変わる。
夢の全部を託すには、ちょっと荷が重い。
じゃけぇ、全部を我慢しろとは思わん。
むしろ少しくらい自分に使ってええ。
頑張ったんじゃけぇ。
でも同時に、生活の土台を立て直す視点も大事。
そのバランスを取れたら、ボーナスに振り回されにくくなるんじゃないかなと思う。
それでも社畜は少しだけ夢を見る
なんだかんだ言っても、ボーナスが入るとちょっとだけ救われるんよ。
全部が自由に使えんでも、少しだけ息がしやすくなる。
払うべきもんを払って、足りんところを埋めて、それでもほんの少し余りが出たら、
「よし、これで何かひとつ買おうかな」
って思える。
その“ほんの少しの夢”が、案外大事なんかもしれん。
高いもんじゃなくてええ。
うまい飯でもええ。
欲しかった小物でもええ。
家族でちょっと出かけるのでもええ。
全部が支払いで終わるより、少しでも“生きる楽しみ”に使えたら、気持ちは違う。
社畜は現実を見すぎて、夢を見るのが下手になりがちなんよね。
でも、完全に夢を捨てたら、それはそれでしんどい。
じゃけぇ、現実を見ながらも少しだけ楽しいことを残す。
それが、ボーナス時期を乗り切るコツなんかもしれん。
ボーナスが入ったのに喜べない。
それはたしかに切ない。
でも、その中でもなんとか希望を探しよるのが、社畜の悪あがきなんよ。
かっこよくはないけど、めちゃくちゃリアルじゃと思う。
まとめ
ボーナスは本来うれしいはずのものじゃけど、社畜にとっては生活の補填や支払いに消えていくことが多い。
入る前は夢があるのに、入った瞬間から現実的な使い道ばかりが並ぶ。
その結果、ご褒美というより立て直し資金になって、素直に喜べん。
これが社畜の切ないところなんよね。
それでも、全部が無意味なわけじゃない。
生活を守れるだけでも大きい。
その上で、少しだけでも自分や家族のために使えたら、ボーナスはただの補填で終わらん。
夢を見すぎず、でも夢をゼロにもせず、現実の中でうまく使っていく。
それが社畜のボーナスとの付き合い方なんかもしれん。
ボーナスで人生大逆転はなかなか難しい。
でも、少し息がしやすくなって、少し気持ちが軽くなって、少し前を向けるなら、それだけでも十分価値はある。
社畜は今日も現実に殴られながら、それでも少しだけ夢を見て生きちょるんよ。
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