評価されたいわけじゃない社畜、ただ普通に生きたいだけなのに辛い日
別にさ、めちゃくちゃ出世したいわけじゃないんよ。
部長になりたいとか、役員になりたいとか、社内で伝説みたいな営業マンになりたいとか、そういうギラギラした野望があるわけじゃない。
表彰されたいわけでもないし、社内報に載りたいわけでもないし、「あいつはすごい」って言われたいわけでもない。
ただ普通に働いて、普通に給料もらって、普通に家帰って、普通に飯食って、普通に寝たいだけなんよ。
ほんで、休みの日にはちゃんと休めて、たまには好きなもん食って、小さい幸せ感じながら、なんとか穏やかに生きていけたらそれでええ。
ほんま、それだけなんよ。
なのに現実は、なんでこんなにしんどいんやろうね。
普通にやっちょるつもりでも足りん。
頼まれたことこなしても次が来る。
ミスせんように気をつけても別のところで神経使う。
ようやく一日終わったと思っても、達成感より先に疲労感が来る。
しかも周りを見たら、
「もっと頑張れ」
「若いうちは苦労しろ」
「評価される人間になれ」
「市場価値を上げろ」
「会社に必要とされる人材になれ」
みたいな言葉が、そこらじゅうに転がっちょる。
いや、そんな大層なもん求めてないんよってなる。
こっちはただ、壊れん程度に働いて、生活が回って、家族と飯食えて、夜に変な不安に押し潰されず眠れたらそれで十分なんよ。
でも、その“普通”がいちばん難しかったりする。
社畜やっちょると、気づかんうちに「もっとちゃんとせんと」「もっと結果出さんと」「もっと役に立たんと」って、自分で自分を追い込むようになる。
会社の求める理想像と、自分の現実の間で、じわじわ削られていくんよね。
今回はそんな、
「別に評価されたいわけじゃない。ただ普通に生きたいだけなのに、それすらしんどい社畜の話」
を、山口弁まじりでじっくり書いていこうと思う。
たぶんこれも、読む人によってはかなり刺さる。
「わしもそれなんよ」って。
1. 社畜は意外と“高望み”してない。ただ平穏に生きたいだけなんよ
会社でしんどくなっちょる人って、外から見ると「向上心がない」とか「甘えてる」とか思われることあるやん。
でも実際は、そうじゃないこと多いんよね。
むしろ社畜って、ちゃんとやろうとしすぎた人の末路みたいなとこある。
最初からサボる気満々の人なら、ここまで心削られんのよ。
「はいはい適当にやっとこ」って割り切れるなら、まだ持つ。
でも真面目な人ほど、
「迷惑かけたくない」
「ちゃんとしよう」
「言われたことはやらんと」
「期待には応えんと」
って考えてしまう。
その結果、必要以上に気を遣って、必要以上に抱え込んで、気づいたら余力なくなっちょる。
ほんで面白いのが、そういう人ほど別に大した望み持っちょらんのよ。
年収何千万欲しいわけでもない。
港区タワマンに住みたいわけでもない。
高級車乗り回したいわけでもない。
会社でチヤホヤされたいわけでもない。
ただ、
安心して暮らしたい。
これだけなんよ。
毎月の支払いに怯えたくない。
体調悪いのに無理して出勤したくない。
休みの日まで会社のこと考えたくない。
家でため息ばっかつきたくない。
子どもや家族に八つ当たりしたくない。
夜、寝る前に将来の不安で胃が重くなるような生活を続けたくない。
ほんま、求めちょるんはその程度なんよ。
いや、その程度って言ったら変か。
でも少なくとも、“評価されたい”とか“すごい人になりたい”より前に、
まともに生きたい
ってだけなんよね。
なのに社会って、普通に生きることをやたら難しくしてくる。
働くだけで精一杯。
税金も上がる。
物価も上がる。
責任は増える。
ミスは許されん。
でも給料は劇的には増えん。
将来の安心も見えん。
これで「もっと前向きに頑張れ!」って言われても、そりゃしんどいって。
社畜の本音って、そんなキラキラしちょらん。
夢を追いたいわけでもなく、革命起こしたいわけでもなく、
今日を無事に終わらせたい。
たぶんまずはそこなんよ。
2. “もっと頑張れ”の圧が、普通に生きたい人間をじわじわ壊していく
会社でも世の中でも、やたらあるじゃろ。
「もっと頑張れ」って空気。
露骨に言われんでも、なんとなく漂っちょる。
成果出せ。
成長しろ。
評価取れ。
数字上げろ。
主体的に動け。
自分で考えろ。
会社に貢献しろ。
期待以上の仕事をしろ。
いやもう、お腹いっぱいなんよ。
もちろん仕事なんやけえ、最低限やるべきことはある。
責任もある。
それはわかる。
でも問題は、その“最低限”が全然最低限じゃないことなんよね。
一つ終わったら次。
次が終わったらまた次。
「ここまでやれば十分」って線がない。
頑張れば頑張るほど、
「あ、できる人なんやね」
って思われて、さらに仕事が増える。
これ、ほんま真面目な人ほどハマる罠なんよ。
最初は評価されたくて頑張るわけじゃないんよ。
ただ頼まれたからやる。
困っちょる人がおるからやる。
自分がやった方が早いからやる。
そうやって動いちょるうちに、気づいたら“できる前提”で見られるようになる。
ほんで一回そのポジションに入ると、今度は下げにくいんよね。
急に断ったら感じ悪いかも。
手を抜いたと思われるかも。
期待外れって思われるかも。
そうやって自分で自分を縛っていく。
でも本心では、
「いや別に、そんな評価いらんのやけど……」
ってなっちょる。
ここがしんどい。
評価されたいわけじゃないのに、評価を落としたくなくて無理する。
目立ちたいわけじゃないのに、期待に応えんといけん空気になる。
ただ波風立てずに生きたいだけなのに、周りから“もっとやれるやろ”って見られる。
しんどいに決まっちょるやん。
しかも最近は会社の外からの圧も強い。
SNS開けば、
「会社に依存するな」
「スキルを身につけろ」
「副業しろ」
「資産形成しろ」
「転職で年収アップ」
みたいなんがガンガン流れてくる。
いや、正論なんよ。
わかるんよ。
でもそれを見ながら思う。
こっちはまず今日を生き延びるので精一杯なんやが。
仕事終わりにもう何も考えたくない日もある。
家帰って横になったらそれで終了の日もある。
そんな日に「成長が足りない」「努力が足りない」みたいな情報入ってくると、余計苦しくなる。
普通に生きたいだけの人間にとって、
“もっと頑張れ”の連続って、じわじわ効く毒なんよね。
3. 評価されるより、ちゃんと眠れて飯がうまい方がよっぽど大事
これ、社畜やってるとほんま思う。
会社で評価されることと、人生の幸福って、意外とそんなに直結せんのよ。
いやもちろん、評価されて給料上がるとか、待遇良くなるとか、そういうメリットはある。
ゼロとは言わん。
でも少なくとも、評価されたからって急に心が軽くなるわけじゃないんよね。
むしろ評価されるほど責任増えることもあるし、
「期待しちょるよ」
って言われた瞬間に、プレッシャーで胃が重くなることもある。
嬉しさより、
「また負荷増えるんやないか」
が先に来る。
これ、社畜あるあるやと思う。
ほんで結局、何がいちばん大事かって言うたら、
ちゃんと寝れて、
飯がちゃんとうまくて、
休日に少しでもほっとできて、
明日を思っても死ぬほど憂うつじゃない。
たぶん、そういうことなんよ。
でも会社におると、その感覚を忘れやすい。
評価シートとか目標管理とかあるやん。
上司との面談で「今後どうなりたい?」とか聞かれるやつ。
ああいう時、ほんま困ることある。
本音では、
「どうなりたいとかより、まず今のしんどさを減らしたい」
なんやけど、そんなこと言えん空気あるじゃろ。
だから無難に
「業務の幅を広げたいです」
「より貢献できるように頑張ります」
みたいなこと言う。
でも内心は全然違う。
本音は、
「毎日ギリギリで生きたくない」
「夜中に目が覚めて仕事思い出したくない」
「休みの日まで疲れを引きずりたくない」
「家で無言の時間ばっか増やしたくない」
なんよね。
ほんま、人間ってそのくらいの“平常”があるだけでだいぶ違うんよ。
逆に言えば、それがないとどんな評価も虚しい。
会社で褒められたその日に、家帰っても心がずっと張っちょる。
昇格したけど、帰宅後に何も楽しめん。
ちょっと給料上がったけど、そのぶん責任とストレスも増えて眠れん。
それで幸せかって言われたら、なかなか難しいよね。
じゃけえ社畜が求める“普通”って、実はかなり大事なもんなんよ。
地味やけど、生きるうえでめちゃくちゃ本質的。
評価より、安心。
出世より、平穏。
拍手より、静かな夜。
そういう価値観って、もっと大事にされてええと思う。
4. 普通に生きたいだけなのに辛いのは、あなたが弱いからじゃない
ここ、かなり大事なんやけど。
「普通に生きたいだけなのにしんどい」
って思う時、
人はすぐ自分のせいにしがちなんよね。
自分が弱いんやないか。
根性がないんやないか。
周りはもっと頑張っちょるのに。
こんなんで疲れちょったらダメなんやないか。
って。
でも違うんよ。
それ、あなたが弱いからじゃなくて、
普通に生きるために必要な余白が、今の社会や職場に少なすぎるだけなんよ。
朝起きて、満員気味の通勤して、仕事して、気遣って、ミス防いで、昼休みも完全には休めんで、夕方にはもうヘトヘト。
そこから帰って家のこともある。
家族のこと、金のこと、将来のこと、体調のこと、いろいろ考える。
ほんでまた朝が来る。
これ、普通にしんどいけえ。
でも慣れるんよね、人って。
しんどいのがデフォルトになる。
周りも同じ顔して働いちょるから、
「まぁこんなもんか」
で済ませてしまう。
ほんで気づいた時には、
好きやったことが楽しめんくなっちょる。
休日も回復せん。
ちょっとしたことでイライラする。
家族に優しくできん。
笑う回数が減る。
でもまだ会社には行ける。
じゃけえ「まだ大丈夫」って思う。
この“まだ大丈夫”がいちばん危ないんよ。
本当は、普通に生きたいと思うこと自体が全然ぜいたくじゃない。
ちゃんと寝たい、ちゃんと休みたい、家で穏やかに過ごしたい、将来を必要以上に怖がらずにいたい。
これ全部、めちゃくちゃまともな願いやん。
なのに、それがなかなか手に入らんから、人は「自分に問題があるのでは」って思ってしまう。
でもほんまは逆で、
それを難しくする環境の方に問題があること、かなり多い。
もちろん全部を環境のせいにするのも違うかもしれん。
けど少なくとも、自分だけ責め続ける必要はないんよ。
普通に生きたいだけなのに辛い。
それは怠けでも甘えでもなくて、
ちゃんと限界を感じ取っちょる証拠なんかもしれん。
むしろその感覚、無視し続けたら危ない。
「自分はほんまはもうしんどいんやな」
って認めるとこからしか、回復も見直しも始まらんけえね。
5. まとめ|社畜が欲しいのは称賛じゃない、平穏な生活です
評価されたいわけじゃない。
すごい人と思われたいわけじゃない。
出世競争に勝ちたいわけでもない。
ただ普通に働いて、普通に暮らして、普通に笑える日がほしい。
それだけなのに、なんでこんなに難しいんやろうね。
社畜って、たぶん多くの人が似たこと思いながら働いちょる。
会社ではなんとかやる。
愛想笑いもする。
頼まれたことも断れん。
迷惑かけんように踏ん張る。
でも本音では、もう十分やっちょるんよ。
ほんまに欲しいのは、
評価シートのA判定でも、
上司からの褒め言葉でも、
社内での立場でもない。
安心して息ができる毎日。
たぶんこれなんよ。
夜ちゃんと眠れること。
飯がうまいこと。
休みの日に仕事のことを考えんでええこと。
家に帰ってホッとできること。
財布と心に、少し余裕があること。
地味やけど、これがいちばん大事なんよね。
でも世の中は、そういう“普通の幸せ”を軽く見がちなんよ。
もっと上を目指せ、
もっと成長しろ、
もっと価値を高めろって、ずっと煽ってくる。
いやもうええって、ってなる日もある。
もちろん向上心がある人を否定する気はない。
夢を持って頑張る人もすごい。
でも、そうじゃない生き方もちゃんと尊重されてええはずなんよ。
普通に生きたい。
それは逃げじゃない。
甘えでもない。
むしろ、壊れんように生き抜こうとする、かなり切実で真っ当な願いなんよ。
じゃけえ、今しんどい人はあんまり自分を責めんでほしい。
「評価されたいわけじゃないのに、なんでこんなに苦しいんやろ」
って思うなら、それはもう十分頑張っちょる証拠やけえ。
社畜に必要なんは、もっと熱くなれって言葉じゃない。
根性論でもない。
たぶん、
もうちょっと穏やかに生きてええんよ
って感覚なんよ。
毎日を劇的に変えるのは難しい。
職場も急には変わらん。
でも、自分がほんまに求めちょるもんを見失わんことはできる。
称賛より平穏。
評価より安心。
出世より、自分の生活。
それを大事にしたいって思うのは、全然おかしなことじゃない。
むしろ社畜やっちょると、
そこに気づけるだけでもかなり大事なんよね。
結局のところ、
人が生きていくうえでいちばん必要なんは、
誰かに「すごい」と言われることより、
自分で「今日はまぁ、なんとかええ一日やったな」って思えることなんかもしれん。
……まぁ現実は、そんな綺麗にいかん日も多いんやけどね。
それでも、
普通に生きたいだけの願いを、せめて自分だけは軽く扱わんようにしたい。
社畜の悪あがきって、たぶんそういうことなんやと思う。