パチンコがやめられないのはなぜ?また次の勝負を探す夜の話
「もうやめよう。」
そう思ったことは、たぶん一回や二回じゃないんよね。
負けた日なんか特にそう。
財布は軽いし、気持ちは沈むし、帰り道の足取りも重い。
コンビニ寄る気力すらなくて、車の中でため息つきながら
「ワシ、何やっちょるんやろ……」
ってなる。
ほんでその時は本気なんよ。
「もう行かん。」
「今月はほんまに我慢する。」
「このままじゃダメや。」
「次こそ立て直す。」
その瞬間だけは、ちゃんと自分の人生を考えちょる。
借金のこと。
支払いのこと。
家族のこと。
これからのこと。
ほんまに、ちゃんと考えちょる。
でもな。
その“やめよう”って気持ち、なぜか長持ちせんのよね。
次の日になったら少し薄れる。
数日経ったら、負けた痛みもぼんやりしてくる。
ほんでXで誰かの爆連報告見たり、店の新台情報見たり、たまたまホールの前通ったりしたら、脳みそのどっかがまた動き出す。
「今日はワシもいけるんやないか。」
「この前はダメやったけど、今日は違うかもしれん。」
「ちょっと見るだけ。」
「一万だけ。」
「当たったらすぐ帰る。」
……始まるんよ。
これがたぶん、パチンコがやめられん人間のいちばん怖いところなんやと思う。
負けたことを忘れるわけじゃない。
痛い目見たことも覚えちょる。
後悔も反省も、ちゃんとしたはずなんよ。
でもそれでも、また行く。
しかも本人の中では、毎回それなりに理由がある。
ストレスたまっちょる。
今日だけは運が向くかもしれん。
今月ちょっと足りん。
ここで取れたら助かる。
前回の流れからしたら今日はある。
そうやって、もっともらしい言い訳をつけて、また座る。
そして気づけば、また次の勝負を探しよる。
今回はそんな、
「パチンコがやめられないのはなぜなのか」
を、ただ根性論で片付けず、実際にやめられん側の感覚で、山口弁まじりにじっくり書いていく。
これはたぶん、
「やめたいのにやめられん」
って人ほど、刺さる話やと思う。
なぜなら、パチンコって負けたからやめられるような単純なもんじゃないけえね。
1. パチンコがやめられないのは、負けるからじゃなく“たまに勝つから”なんよ
パチンコがやめられん理由って、負けるからやと思われがちなんよ。
でも実際は逆で、たまに勝つから やめられんのよね。
これ、ほんま大きい。
もし毎回毎回、座った瞬間からストレートに負けて、何の希望もなく終わるだけなら、ここまで人はハマらんのやと思う。
でも現実は違う。
たまに勝つ。
たまにデカいの引く。
たまに「今日は神がかっとる」みたいな日がある。
あの時だけ、世界がちょっと明るく見える。
財布に金が入る。
さっきまでの絶望が一瞬で吹き飛ぶ。
「まだワシ終わってないやん」
って思える。
その感覚が、脳にめちゃくちゃ強く残るんよね。
しかも厄介なんは、その勝ちが金額以上の意味を持つことなんよ。
例えば3万勝ったとするやん。
それだけ見たら、普通の人からしたら
「3万ラッキーやん」
で終わるかもしれん。
でもパチンカスの脳では違う。
「ワシの読みが当たった。」
「やっぱこの台相性ええ。」
「今日は立ち回りが正解やった。」
「流れを掴んだ。」
って、自分の実力とかセンスの話に変換してしまう。
これがほんまに危ない。
実際はたまたまかもしれん。
展開が噛み合っただけかもしれん。
でも一回そういう成功体験をすると、人はその快感を忘れにくい。
負けた記憶より、勝った時の気持ちよさの方が、妙に鮮明に残るんよね。
じゃけえ、また行く。
「またあの感覚を味わいたい。」
「今度こそ、もっと上手くやれるかもしれん。」
「次はもっと勝てるかもしれん。」
これがもう、やめられん入口なんよ。
パチンコって、負けるからやめられんというより、
負けてもなお、たまに勝ちがあるから希望を切れん
んやと思う。
しかもその希望って、現実が苦しい人間ほど刺さる。
生活きつい。
借金ある。
仕事しんどい。
将来不安。
そんな中で、一瞬でも
「助かった」
って思える出来事があると、人はそこにすがりたくなるんよね。
じゃけえ、やめられん。
2. やめたい気持ちと、また行きたい気持ちは普通に同時に存在する
パチンコやめられん人って、自分でも意味わからんなる時あるんよ。
「やめたい」はずなんよ。
ほんまに。
金も減る。
時間も溶ける。
勝っても結局また行く。
負けたら当然しんどい。
人生が前に進んだ感なんか、ほぼない。
じゃあなんで行くんかって話やけど、これが単純じゃない。
やめたい気持ちと、また行きたい気持ちは、普通に両方ある。
しかも結構本気で両方ある。
これ、ギャンブルやらん人からしたら理解しにくいかもしれん。
でも当事者からすると、めちゃくちゃ自然なんよね。
やめたい。
ほんまにやめたい。
でも行きたい。
なぜなら行けばワンチャンある気がする。
ストレス発散にもなる気がする。
今の苦しさを一瞬忘れられる気がする。
その“気がする”が、かなり強い。
ほんで人間って、その時の自分に都合のいい方を選びやすいんよ。
負けた直後は「やめたい」が勝つ。
数日経って痛みが薄れたら「行きたい」が勝つ。
給料日前で金が足りん時は、「増やしたい」が勝つ。
仕事でイライラした日は、「発散したい」が勝つ。
そうやって、気持ちのバランスが日によって変わる。
じゃけえ、昨日は本気でやめようと思ったのに、今日は本気で行きたくなる。
これが起こる。
ほんで自分でも嫌になる。
「ワシ、意志弱すぎん?」
「昨日あんなに反省したやん。」
「また同じことしよるやん。」
って。
でも実際、意志が弱いだけで全部説明できるかって言われたら、そうでもないんよね。
パチンコって、単なる遊びじゃなくて、
感情の逃げ場 にもなっちょることがあるけえ。
しんどい現実。
おもんない仕事。
息詰まる毎日。
金の不安。
自分へのイライラ。
そういうのを、一瞬だけでも忘れさせてくれる。
もちろん代償はでかい。
でもその“忘れられる瞬間”があるから、人はまた行く。
つまり、やめたいのにやめられんのは矛盾でも何でもなくて、
その両方の気持ちがちゃんと存在しちょるだけなんよね。
そこがまた厄介なんやけど。
3. 負けた後より、勝った後の方が実は危ない夜がある
パチンコがやめられん理由って、負けた後の悔しさばっかりじゃないんよ。
むしろ場合によっては、勝った後の方が危ない。
これ、かなりある。
負けた日はさすがに落ち込む。
財布も軽い。
心も折れちょる。
帰り道で
「もうやめようかな」
って一瞬は思える。
その瞬間だけは、まともな人間に戻るんよ。
でも勝った日は違う。
勝った金で少し余裕ができる。
気持ちも上向く。
ほんでその余裕が、次の夢を見させる。
「今日の感覚、悪くなかったな。」
「明日も続くかもしれん。」
「ここでやめたらもったいないかも。」
「次でもうちょい積めたら、かなり楽になる。」
もう、危険信号なんよね。
本来なら勝った時こそ、金を持って逃げるべきなんよ。
それが一番“勝ち”なんよ。
でもパチンカスは違う。
勝った金を
使えるお金 じゃなくて、
増やせる種銭 として見始める。
ここがほんまに危ない。
例えば2万勝ったとする。
それを返済に回せば前進なんよ。
生活費に置けば助かるんよ。
でも脳内ではこうなる。
「この2万で次4万取れたら?」
「4万取れたら今月かなり助かる。」
「今の流れならワンチャンある。」
……始まるんよ。
しかも勝った日は、自分に変な自信がつく。
「今日は読みが良かった。」
「立ち回りがハマった。」
「ワシ、もしかしてやれる側なんやないか。」
みたいに、自分の実力が上がったような気になる。
でも冷静に考えたら、たまたまの部分も大きい。
それでも人は、勝ちを才能やセンスの証明にしたがるんよね。
なぜなら、その方が次に行く理由ができるけえ。
じゃけえ、パチンコがやめられん人間にとって、本当に危ないのは
“最悪の負けの日”
だけじゃない。
“ちょっと勝ってしまった日”
も、同じくらい危ない。
あの夜、ちゃんと帰れるかどうか。
そこがめちゃくちゃ大事なんよ。
4. やめられない人は、パチンコそのものより“行くまでの脳内会議”に負けちょる
パチンコって、座ってから全部が始まるように見えるやん。
でも実際は違う。
勝負って、店に入る前から始まっちょるんよね。
もっと言えば、
脳内会議の時点でかなり決まっちょる。
例えば朝。
今日は行かんつもりやった。
でもなんとなくスマホ開く。
店の情報見る。
誰かの勝ち報告見る。
新台の感想見る。
イベント煽り見る。
その時点で、もう脳の一部はホールにおる。
ほんで会議が始まる。
「いや今日は行かん方がええ。」
「でも少し見るだけなら。」
「一万だけなら別に。」
「昨日負けたけど、今日は違うかもしれん。」
「今月苦しいし、ここで取れたら助かる。」
「ストレスもたまっちょるし。」
「どうせ家帰ってもモヤモヤするだけやし。」
この会議、ほんま都合がええ。
行く理由だけは、いくらでも出てくる。
行かん理由ももちろんあるんよ。
金ない。
負ける可能性高い。
また後悔する。
でもそのへんの現実的な声って、妙に弱い。
逆に、
「ワンチャン」
「今日は違う」
「一発で流れ変わるかも」
みたいな希望の声は、やたら強い。
これ、たぶんパチンコやめられん人の本当の敵なんよね。
台とか店とかより先に、
自分の中の“都合のいい会議”
が敵なんよ。
しかも厄介なんが、その会議って毎回ちょっとずつ言い方変えてくること。
今日はストレス発散。
明日は取り返し。
次は勝ち逃げ狙い。
その次は暇つぶし。
全部理由が違うように見えて、結局やっちょることは同じ。
じゃけえ、やめるためには本当は、店を避ける前に
この脳内会議の流れを知る必要があるんかもしれん。
「あ、今ワシまた自分に都合のいいこと言い始めたな」
って気づけるかどうか。
そこがかなり大きい。
でもまぁ、これが難しいんよね。
その時は毎回、本気で正当化しちょるけえ。
自分では理屈通っとるつもりなんよ。
そこがほんまにやっかい。
5. まとめ|パチンコがやめられないのは、弱いからじゃなく“希望の形が歪む”からかもしれん
パチンコがやめられん。
やめたいのにまた行く。
負けて後悔したのに、数日後には次の勝負を探しよる。
勝った日は勝った日で、また夢を見てしまう。
こういう自分を見て、
「ワシってほんまダメやな」
って思うこと、あるよね。
でもな、もちろん全部を正当化する気はないけど、
単純に“意志が弱い”だけでもないんやと思う。
パチンコがやめられんのは、そこに
歪んだ希望
があるからなんよ。
今の苦しさを何とかしたい。
少しでも楽になりたい。
現実を変えたい。
ストレスから逃げたい。
その気持ち自体は、別におかしなもんじゃない。
ただ、その希望の向け先がパチンコになっちょると、話がややこしくなる。
たまに勝つ。
一瞬救われる。
だからまた期待する。
でも最終的にはまた苦しくなる。
このループに入る。
つまり、パチンコがやめられんのって、
パチンコが好きとか嫌いとかだけの話じゃなくて、
それに救いを感じてしまう瞬間があるから
なんよね。
だから厄介やし、簡単に切れん。
しかも勝った日がまた危ない。
「立て直せるかも」
「ここから増やせるかも」
って、正しい方向じゃなく、次の勝負に希望をつないでしまう。
その夜がいちばん怖いまである。
じゃけえ、パチンコを本気でやめたいと思うなら、必要なんはたぶん
「負けんこと」より
「勝ったあとに夢を見すぎんこと」
なんかもしれん。
勝った金を守る。
次の勝負を探さん。
脳内会議に飲まれん。
これができた日が、本当の意味での一歩なんやろうね。
ワシも偉そうに言える立場じゃない。
何回も同じこと繰り返してきた。
やめようと思って、また行って、反省して、また行った。
でもその中でひとつだけ思う。
パチンコがやめられないのは、ただ弱いからじゃない。
現実がしんどい中で、そこに変な希望を見てしまうからなんよ。
そしてその希望は、残念ながら人生を立て直す方向にはあんまり働かん。
じゃけえこそ、まずは
「なんでワシはまた行くんやろ」
って、自分の脳内会議を知ることが大事なんかもしれん。
パチンコがやめられないのはなぜ?
また次の勝負を探す夜の話。
答えはたぶん、店の中より先に、
自分の中の希望と都合のいい言い訳
にあるんやと思う。