金欠の救世主。スーパーで安い豆腐を大量に買って生き延びてみた
スーパーで安い豆腐を見つけた時、正直ちょっと安心したんよね。
金がない時って、100円もせんような食材がやたら頼もしく見える時あるやん。
その日の自分もまさにそれやった。
財布の中身は軽い。
でも腹は減る。
しかも一日二日ならまだしも、数日単位で何とかせんといけん。
そんな時に見つけた、安い豆腐。
「これや」
ってちょっと思ったんよね。
豆腐なら安いし、量もあるし、なんとなく体にもよさそうやし、料理の幅も広そうに見える。
しかも店頭にずらっと並んどるのを見ると、なんかこっちまで強気になってくる。
「何丁か買っとけば、しばらく何とかなるやろ」
その“何丁か”が、気づけばまあまあな量になっとった。
冷静に見たら買いすぎなんやけど、金欠の時ってたまにそういうことあるんよ。
安いもん見ると「今のうちに確保しとかんと」って気持ちが勝つ。
で、家に帰って冷蔵庫を開けて、豆腐を並べながら思った。
「……これ、全部どうやって食うん?」
買う時は希望。
帰ってからは現実。
それが金欠生活のリアルやった。
でも、せっかく買った豆腐。
腐らせるのは絶対イヤやし、どうせならちゃんと食って、生き延びた感じを味わいたい。
そう思って、冷奴だけじゃ終わらん豆腐生活が始まった。
スーパーで安い豆腐を大量に買ったけど、正直ちょっと不安やった
まず言いたい。
豆腐って、買う時はめちゃくちゃ心強いんよ。
特売コーナーに並んどる安い豆腐。
あの白くて四角いやつらが、なぜか救世主みたいに見える時がある。
特に金欠の時はそう。
肉はちょっと高い。魚も高い。野菜もなんだかんだ高い。
そんな中で、「はい、わたし安いです」みたいな顔して並んどる豆腐を見ると、もうこっちは吸い寄せられるしかない。
その日もそんな感じやった。
「一丁買っとこうかな」
から始まって、
「いや二丁あってもいいか」
「どうせ安いし三丁でも…」
みたいになって、最終的にはけっこうな量になった。
かごの中が白い。
とにかく白い。
豆腐、豆腐、豆腐。
周りの人から見たら「この人どんだけ豆腐好きなん」って感じやったかもしれん。
でも、こっちにはこっちの事情がある。
これは贅沢じゃない。
生存戦略や。
安い時に買っておく。
それで数日持たせる。
その発想自体は間違ってないと思う。
実際、金欠の時には正しい動きのひとつやと思う。
ただな、家に帰ってからが問題やった。
冷蔵庫開ける。
豆腐入れる。
また豆腐入れる。
まだ入れる。
気づいたら、冷蔵庫の中が豆腐の圧で満ちとる。
「いや、これほんまに全部いけるんか?」
その時ちょっと不安になった。
安く買えたのはいい。
でも安いからって大量に買って、結局飽きたり傷ませたりしたら意味がない。
むしろ損や。
金欠の時って、ただ“安い”だけじゃダメなんよね。
ちゃんと食べ切れるかどうか、ここまで含めて戦いやったりする。
しかも豆腐って、なんとなく“やさしい食べ物”のイメージあるやん。
それはええんやけど、逆に言えばパンチは弱い。
冷奴、湯豆腐、味噌汁の具。
思いつくんはそのへん。
「これ、数日間こればっかりになったら、ちょっと心が先に死ぬかもしれん…」
そう思ったんよ。
でももう買ったもんは戻せん。
たけのこと同じや。
人生と一緒で、買った豆腐も元には戻らん。
ならもう、やるしかない。
この大量の豆腐を、ただの“安い食材”で終わらせずに、ちゃんと戦力に変えるしかなかった。
とりあえず冷奴と湯豆腐。でもそれだけじゃ絶対に飽きると思った
豆腐生活の最初なんて、まあだいたい想像つくんよ。
まずは冷奴。
そして湯豆腐。
この二強やろうね。
とりあえず一日目は冷奴にした。
包丁で切って皿に乗せて、かつお節、ネギ、しょうゆ。
うん、普通にうまい。
豆腐そのものの味もちゃんとあるし、口当たりもなめらかやし、さっぱりしとる。
特に金欠でちょっと疲れとる時は、あのやさしさが沁みる。
でもな。
二日連続でテンション上がるタイプではない。
そこが問題なんよ。
冷奴はうまい。
でも“救われた感じ”まではいかん。
ちゃんと食べた感じも少し弱い。
副菜としてはええ。
でもメインとして毎日出てきたら、さすがに気持ちが沈む。
そこで次は湯豆腐。
これも悪くない。
むしろかなりいい。
鍋に湯を張って、昆布とか入れて、豆腐を温めるだけでちゃんと一品になる。
あったかいし、やさしいし、胃にもやさしい。
ポン酢で食えば普通にうまい。
でも、これも続くと見えてくる。
「豆腐、まだまだおるな…」
冷奴と湯豆腐って、豆腐の良さをそのまま味わう食べ方なんよ。
それはそれでええ。
でも、大量にある豆腐を消費していく戦いにおいては、ちょっと単調なんよね。
しかも金欠の時って、ただ腹に入ればいいわけでもない。
ちゃんと“食べた感”がほしいんよ。
今日も生きた、今日も何とか乗り切ったっていう満足感がほしい。
冷奴も湯豆腐も、やさしい。
やさしいけど、優しすぎる。
「これだけで数日いくのは無理やな」
そう思って、豆腐をもっといじる方向に舵を切った。
その判断が、かなり大きかった。
豆腐って、そのまま食うだけやないんよね。
ちゃんと手を入れると、思った以上に変わる。
焼いたら香ばしくなるし、崩したら別物になるし、煮込めばちゃんと味を背負う。
そのことに気づいてから、豆腐生活が一気に面白くなっていった。
焼く、崩す、煮る。豆腐はいじればいじるほど化けるやつやった
ここからが本番やった。
まずやってみたんが、豆腐ステーキ。
水気を切った豆腐を焼くだけ。
言葉にすると地味なんやけど、実際やるとこれがかなりいい。
表面に焼き色がつくと、急に“ちゃんと料理した感”が出る。
香ばしさも出るし、しょうゆベースのタレでも、ポン酢でも、にんにく系でも合う。
しかも食べごたえが出る。
「え、豆腐ってこんなにメイン張れるん?」
ってちょっと感動した。
今までの豆腐って、どっちかというと脇役やったんよ。
味噌汁に入っとるとか、鍋の中におるとか、冷奴で静かに存在しとるとか。
でも焼いた瞬間、ちゃんと前に出てくる。
あれはかなり良かった。
次にやったんが、炒り豆腐。
これがまた金欠民に優しい。
豆腐を崩して炒めるだけで、なんか“そぼろっぽい満足感”が出るんよ。
にんじんがあれば入れる。
卵があれば入れる。
余った野菜があれば全部歓迎。
豆腐が全体を受け止めてくれるけぇ、冷蔵庫の端っこに残っとる食材の救済にもなる。
しかも、崩すことで食感も変わる。
冷奴の“やわらかさ”とは全然違って、ちゃんと料理としての表情が出る。
味付けをちょっと濃いめにしたら、ご飯にもめちゃくちゃ合う。
その時に思った。
豆腐、安いくせに仕事できすぎやろ。
焼ける。
崩せる。
炒められる。
しかも他の食材ともケンカせん。
自分の主張をしすぎんくせに、ちゃんと全体の満足感は上げてくる。
なんか、すごいできるやつなんよ。
さらに、豆腐丼もやってみた。
これはちょっとした発見やった。
豆腐を崩して甘辛く味付けして、ご飯に乗せる。
卵を落としてもええし、ネギをかけてもええ。
そうすると、安い食材同士の組み合わせなんやけど、ちゃんと“丼食った感”が出る。
これが大事なんよね。
金欠の時に必要なんは、カロリーとか金額だけやない。
気持ちの満足感もかなり大事なんよ。
「節約してます」感が強すぎると、心がしんどくなってくる。
でも豆腐丼みたいに、“ちゃんと一食になっとる感”があると、だいぶ違う。
あと、豆腐入りの味噌汁やあんかけっぽい料理もやってみた。
これもよかった。
汁物に入ると一気にやさしくなるし、あったかいもんってそれだけで救われる時あるやん。
豆腐はそういう時にもちゃんと働く。
気づけば、最初に不安やった大量の豆腐が、
いろんな顔を見せてくれる食材になっとった。
冷奴の時は「これ続くかな…」って不安やったのに、
焼いたり崩したり煮たりするうちに、
「次はどう変えてやろうか」
ってちょっと楽しくなってきたんよね。
安い食材って、ただ我慢して食うもんじゃなくて、
工夫したらちゃんと化けるんやなって、その時実感した。
“食事に困ったときはこちらもおすすめ”
安いのに腹は満たされる。豆腐が金欠生活の味方すぎた
結論から言うと、豆腐生活は思ったよりかなり強かった。
もちろん毎日高級なもん食ったわけじゃない。
肉がどっさりあるわけでもないし、豪華な定食みたいな食卓になったわけでもない。
でもな、安いのにちゃんと腹が満たされるって、かなりありがたいことなんよ。
豆腐って単価だけ見ると、ほんまに財布にやさしい。
でも安いだけの食材って、時々あるやん。
安いけど量が少ないとか、安いけど満足感がないとか。
豆腐はそこが違った。
工夫すればメインにもなる。
副菜にもなる。
汁物にもなる。
丼にもなる。
そしてなにより、食べ方を変えるだけで飽きにくい。
これ、かなり大きかった。
冷蔵庫に豆腐がたくさんある状況って、最初はちょっと笑えるんよ。
「豆腐に支配されとるやん」
って感じで。
でも数日過ごしてみると、あの白い四角たちがめちゃくちゃ頼もしく見えてくる。
「ああ、まだ豆腐がある」
「今日も何とか作れる」
そう思える安心感は、金欠の時ほど大きい。
しかも、ただ空腹を埋めるだけじゃないんよね。
ちゃんと考えて、焼いたり煮たり崩したりして食べることで、
“今日も一食ちゃんと作った”っていう感覚が残る。
それが妙に自分を支えてくれる。
金がない時って、気持ちまで縮こまりやすい。
買い物しても「安いかどうか」ばっかり気になるし、
食事も「とりあえず腹に入れる」方向に寄りがち。
でも、豆腐をいろいろ試してみた数日は、ちょっと違った。
安いけど、工夫できる。
地味やけど、ちゃんと変化がある。
頼りないようで、実はかなり頼れる。
そう考えると、豆腐ってなんか今の自分みたいやなとも思った。
派手さはない。
でも、工夫して粘れば何とかなる。
表に見える以上に、使い道はある。
そう思えたんよね。
大げさかもしれんけど、金欠生活の中でこういう食材に出会うと、ちょっと救われる。
高いごちそうじゃなくても、
「今日は豆腐ステーキにしてみよう」
「今日は炒り豆腐いけるな」
って考えられるだけで、生活に少し余白ができる。
それがうれしかった。
まとめ
豆腐だけじゃきついと思ったけど、工夫したらちゃんと生き延びられた
スーパーで安い豆腐を見つけて、つい大量に買ってしまった日。
買う時は「これでしばらく何とかなる」と思った。
でも家に帰って冷蔵庫に並べた瞬間、正直ちょっと不安になった。
「これ、全部食えるんか?」
冷奴と湯豆腐は確かにうまい。
でも、それだけじゃたぶん飽きる。
心も先にやられる。
そう思って、焼いたり、崩したり、煮たりしていくうちに、豆腐の見え方がかなり変わった。
豆腐ステーキはちゃんとメインになった。
炒り豆腐は余り食材まで救ってくれた。
豆腐丼は“ちゃんと食った感”をくれた。
汁物に入れればやさしくなった。
気づけば、最初は不安やった大量の豆腐が、
数日を支えてくれる頼もしい存在になっとった。
安いから選んだだけの食材やったはずなのに、
最後には「豆腐、かなりええやつやん」って素直に思えた。
金欠の時って、食材ひとつのありがたさがでかい。
特に、安いのに工夫できて、ちゃんと腹も満たしてくれるやつは貴重や。
豆腐だけじゃきついと思った。
でも実際は、工夫したらちゃんといけた。
むしろ、思っとった以上に生き延びられた。
そして今の自分は、スーパーで安い豆腐を見るたびに思う。
あいつ、見た目以上に強い。